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【症例報告】猫の口腔内扁平上皮癌

【症例報告】高齢猫における口腔内扁平上皮癌との歩み

はじめに

この記録では、一頭の高齢猫における口腔内扁平上皮癌(こうくうないへんぺいじょうひがん)の症例につきまして、その診断から治療、そして終末期に至るまでの臨床経過をご説明します。この症例は、進行性の悪性腫瘍に対する集学的な治療の実際と、その臨床的な意義および限界を示す一例となります。

初診時の様子

病気の発見と診断について

13歳の去勢済みのオス猫の症例です。

ある夏の日、いつも食べていたフードを食べなくなり、顔の変形を感じたとのことで、近隣の動物病院を受診されました。その結果、「扁平上皮癌」との診断を受け、残された時間を穏やかに過ごさせてあげたいというご意向から、ほどなくして当院へ来院されました。

初診時の身体検査では、下顎に顕著な腫瘤が確認されました。X線検査を実施したところ、腫瘍の浸潤によって下顎の骨が広範囲に溶けている像が認められましたが、幸い胸部への遠隔転移は見られませんでした。血液検査では、炎症や脱水を示唆する軽度な異常値が認められました。これらの所見は、他院から提供された病理組織検査報告書にある「扁平上皮癌」という診断と一致するものでした。

扁平上皮癌は、特に猫の口腔内に発生しやすい悪性腫瘍で、高い局所浸潤性を持ち、周囲の組織や骨を破壊しながら進行していく病気です。

治療方針と手術について

根治的な切除は難しい状況であると判断し、治療の目標を、腫瘍をできる限り小さくすることと、生活の質(QOL)を維持することに設定しました。

来院の翌日、外科的介入として「下顎骨切除術」および、栄養を確保するための「食道チューブ設置術」を実施しました。これにより、腫瘍そのものを物理的に取り除くとともに、手術後も安定して栄養を投与できる経路を確保することを目指しました。

手術の後は入院管理のもとで、点滴、抗菌薬、痛み止め、吐き気止めによる集中的な治療を行いました。食道チューブを介した流動食の投与も開始しましたが、手術直後は嘔吐が見られたため、投与量や回数を慎重に調整しながら管理を進めました。

寛解中の外観

手術後の治療とご自宅でのケア

手術で切除した腫瘍組織を、さらに詳しく専門機関で検査しました。その結果、「高分化型扁平上皮癌」であること、そして、微細なリンパ管へ腫瘍細胞が入り込んでいる「リンパ管浸潤」が陽性であることが判明しました。これは、将来的に再発や転移が起こるリスクが高いことを示唆する所見でした。

この結果に基づき、手術後の補助療法として、分子標的薬である「トセラニブ(商品名:パラディア)」による化学療法を導入しました。これは、がん細胞が増えるための特定の信号だけを狙って妨害する比較的新しいタイプのお薬です。ご自宅での経口投与を継続していただき、副作用が出ていないかを確認するため、定期的に通院していただいて血液検査などを行い、全身状態を評価しました。

並行して、ご自宅では皮下点滴による水分補給や、食道チューブの衛生管理、また、便秘や鼻炎といった、その時々で見られる症状に対する治療も継続的に行っていただきました。


病状の進行と最期について

これらの集学的な治療により、手術後しばらくは、がんが検査では見つけられない「完全寛解」と呼ばれるほど良好な状態を維持できた期間も存在しました。

しかし、治療開始から約3ヶ月が経過した頃、鼻詰まりや涙目といった症状の悪化が認められました。そして、最後の診察となった日、X線検査にて、下顎に3cm大の腫瘍が再発していることが確認されました。この時の体重は以前より減少し、脱水、あごの硬い腫れ、瞳孔が開いてしまう散瞳といった、終末期の徴候が顕著でした。

ご家族からは、これ以上苦しませたくないという思いから、安楽死の申し出がありました。しかし、そのための準備として点滴の処置をしていたところ、容態が急変し、静かに自発的な呼吸停止に至り、死亡が確認されました。

この症例のまとめ

この症例は、進行した猫の口腔内扁平上皮癌に対しまして、外科手術、食道チューブによる栄養サポート、そして分子標的薬による化学療法といった複数の治療を組み合わせることで、一時的に生活の質(QOL)を改善し、生存期間を延長できた可能性を示唆しています。

一方で、リンパ管浸潤を伴う悪性度の高い腫瘍の進行を完全に抑えることは極めて難しく、最終的には局所的な再発による病状の悪化という経過を辿りました。このような実際の臨床記録を積み重ねていくことが、同じように難しい病気と向き合う動物とご家族、そして我々臨床家が、治療の選択肢とその限界を深く理解し、それぞれの動物にとって最善の治療計画を立てていく上で、大変重要な資料になると考えられます。