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ワンちゃんの炎症性腸疾患(IBD)

ワンちゃんの「炎症性腸疾患(IBD)」について

ワンちゃんが長い間お腹の調子を崩している時、その原因の一つに「炎症性腸疾患(IBD)」という病気があります。これは、簡単にお伝えすると「腸の中で原因不明の火事(炎症)がずっと続いている状態」です。このガイドは、その病気について獣医師がどのように考え、診断し、治療を進めていくかをまとめたものです。少し専門的な内容も含まれますが、ワンちゃんのために一緒に学んでいきましょう。

ステップ1:この病気はどんな状態?(病態)

まず、「慢性腸症(CE)」という大きな枠組みがあります。これは、一般的な治療ではなかなか治らない、またはぶり返してしまう慢性的(長期間続く)な消化器トラブル全般を指します。

この「慢性腸症」は、何に反応して良くなるかによって、3つのタイプに分けられます。

  • 食事反応性腸症: 食事を特別なものに変えるだけで良くなるタイプです。
  • 抗菌薬反応性腸症: 抗生物質を使うことで良くなるタイプです。
  • 炎症性腸疾患(IBD): 食事や抗生物質だけでは良くならず、免疫を抑えるお薬(免疫抑制薬)が必要になるタイプです。これを「免疫抑制薬反応性腸症」とも呼びます。

💡 なぜIBDになるの?


はっきりとした原因はまだわかっていませんが、複数の要因が複雑に絡み合っていると考えられています。

  • 免疫の暴走: 腸の中の免疫システムが、何らかのきっかけで過剰に反応してしまい、自分の腸を攻撃し続けてしまいます。
  • 腸のバリア機能の異常: 腸の壁が弱くなり、本来入ってきてはいけないものが体内に侵入しやすくなっています。
  • 腸内細菌の変化: お腹の中にいる善玉菌や悪玉菌のバランスが崩れています。
  • 食べ物: 普段食べているフードに含まれる何かの成分が、免疫を刺激している可能性があります。

どんな子に多いの?どんな症状が出るの?

ジャーマン・シェパード・ドッグは特になりやすいと言われていますが、どんな犬種でも起こりえます。中年以降のワンちゃんに多く見られます。症状は様々で、小腸が主に炎症を起こしているか、大腸が主に炎症を起こしているかで変わります。

  • 主な症状: 下痢(水っぽい便、粘液や血が混じった便)、食欲不振、体重減少、嘔吐、お腹の痛みなど。

重症度のチェック(CCECAIスコア)

獣医師は「犬慢性腸症臨床活動性指数(CCECAI)」というスコアシートを使って、ワンちゃんの状態が今どれくらい重いのかを客観的に評価します。活動性、食欲、嘔吐や下痢の頻度、体重、血液中のアルブミン(タンパク質の一種)の数値などを点数化して判断します。

ステップ2:どうやって「IBD」と診断するの?(診断)

IBDの診断は、他の病気の可能性を一つひとつ消していく「除外診断」という方法で行います。

  1. 他の病気ではないことを確認: まず、血液検査、便検査、レントゲン、超音波検査などを行い、寄生虫や膵炎、腫瘍など、似た症状を示す他の病気がないか徹底的に調べます。
  2. 食事療法と抗菌薬を試す: 次に、特別な療法食を試したり(食事反応性腸症を除外)、抗生物質を投与したり(抗菌薬反応性腸症を除外)します。
  3. 最終診断(内視鏡検査): 上記の検査や治療を試しても良くならない場合に、最終診断のために全身麻酔をかけて内視鏡(胃カメラ)検査を行います。カメラで直接、食道・胃・腸の粘膜の状態を観察し、数カ所からごく小さな組織片を採取します(これを生検と呼びます)。この組織を専門家が顕微鏡で調べる「病理組織学的検査」によって、腸に特徴的な炎症が起きていることを確認し、IBDと確定診断します。また、見た目が非常に似ている「消化器型リンパ腫」というがんとの区別をつけるためにも、この検査は非常に重要です。

ステップ3:どんな治療をするの?(治療方針)

IBDと診断されたら、治療のメインは「暴走している免疫を落ち着かせること」です。そのために免疫抑制薬を使いますが、状態によっては食事療法を優先することもあります。治療の効果は、先ほどのCCECAIスコアで定期的にチェックします。

1. 免疫抑制薬

① プレドニゾロン(ステロイド剤)

  • 役割: 治療の第一選択となる基本のお薬です。
  • 用量: 1日に体重1kgあたり1〜2mgから開始します。
  • 注意点: 炎症を強力に抑えてくれますが、副作用もあります。水をたくさん飲んでおしっこが増える、食欲が増す、肝臓の数値が上がる、長く使うと筋肉が落ちる、などです。症状が改善したら、副作用を減らすために2〜4週間ごとに25%ずつなど、慎重に量を減らしていきます。最終的には体重1kgあたり0.5mgを2日に1回といった、ごく少ない量を維持することを目指します。

② シクロスポリン

  • 役割: プレドニゾロンだけでは効果が不十分な場合や、プレドニゾロンの量を減らしたい時に追加で使います。プレドニゾロンの次に選ばれることが多いお薬です。
  • 用量: 1日に体重1kgあたり5〜10mg
  • 注意点: 吸収を良くするため空腹時の投与が勧められますが、吐き気などの副作用が出る場合は食事と一緒に与えることもあります。

③ ブデソニド

  • 役割: 腸で直接作用し、体に吸収された後はほとんどが肝臓で分解されるため、全身的な副作用が出にくいとされるステロイド剤です。
  • 用量(1日あたり): 小型犬: 1mg/頭, 中型犬: 2mg/頭, 大型犬: 3mg/頭

④ アザチオプリン

  • 役割: 古くからある免疫抑制薬ですが、IBDに対する効果の証明が十分でなく、最近ではあまり使われません。安価なのが利点です。
  • 用量: 1日に体重1kgあたり2mg

⑤ クロラムブシル

  • 役割: 経口の抗がん剤の一種ですが、IBDの治療にも使われます。特にプレドニゾロンに反応しない重症例や、リンパ腫との区別が難しい症例で重要な選択肢になります。アザチオプリンよりも治療効果が高かったという報告もあります。
  • 用量: 1日に体の表面積1㎡あたり2mg。体の表面積は体重から計算式で算出します。抗がん剤なので、錠剤を割らずに投与間隔で量を調整します。

2. 低脂肪食による食事療法

特に、血液中のタンパク質(アルブミン)が著しく低く、超音波検査などで腸のリンパ管が広がっている「リンパ管拡張症」という状態が疑われる場合に、非常に重要になります。食事の脂肪を制限することで、リンパ管への負担を減らし、タンパク質が腸から漏れ出るのを防ぎます。

  • 低脂肪療法食: まずは動物病院で処方される市販の低脂肪フードを試します。
  • 超低脂肪食(手作り食): 療法食でも改善しない場合、手作り食に切り替えることがあります。タンパク源(鶏のささみや胸肉)と炭水化物源(ジャガイモや白米)のカロリー比率を1:2に調整します。
!手作り食の注意点!
この手作り食は栄養バランスが偏っているため、長期間続けることは推奨されません。症状が改善したら、低脂肪療法食を少しずつ混ぜていく必要があります。また、まれに低カルシウム血症による震えや痙攣を起こすことがあるため、異変があればすぐに病院に連絡してください。

3. その他の薬剤

⑥ メトロニダゾール / ⑦ タイロシン(抗菌薬)

  • 下痢の症状を和らげるために、免疫抑制薬と併用することがあります。
  • 用量(メトロニダゾール): 1回に体重1kgあたり10〜15mgを1日2回。まれにふらつきなどの神経症状が出ることがあり、その場合はすぐに休薬します。
  • 用量(タイロシン): 1回に体重1kgあたり10〜20mgを1日2回

⑧ シアノコバラミン(ビタミンB12)

  • IBDのワンちゃんは腸からビタミンB12を吸収できなくなりがちです。不足すると貧血や下痢の悪化につながるため、注射で補います。
  • 投与方法: 250〜1,200μgを週に1回、6週間続けた後、血液濃度を見ながら1〜2ヶ月ごとに投与します。

⑨ 可溶性食物繊維(サイリウム)

  • 主に大腸性の下痢(粘液便やしぶり腹など)が見られる場合に、便の状態を整えるために使います。
  • 用量(1日あたり初期量): 小型犬: ティースプーン 1/2〜1杯, 中型犬: ティースプーン 2杯, 大型犬: ティースプーン 3杯

ステップ4:今後の見通しは?(予後)

  • 多くの場合、お薬の組み合わせによって症状を良好にコントロールすることが可能です。
  • ただし、この病気は完治するものではなく、多くは生涯にわたってお薬や食事療法を続けていく必要があります。
  • 残念ながら、一部には治療にうまく反応せず、亡くなってしまう重症例もあります。
  • 症状が非常に重い、体重減少が激しい、血液のアルブミンやビタミンB12の値が極端に低い、などの場合は、経過が厳しい可能性がある(予後不良因子)と報告されています。

この病気は、ワンちゃんもご家族も根気が必要な長い付き合いになります。

治療方針はワンちゃんの状態によって細かく調整していく必要がありますので、
不安なことやわからないことは何でも獣医師に相談してください。