診察時間
午前9:00-12:00
午後15:00-18:00
手術時間12:00-15:00
水曜・日曜午後休診
はじめに: 犬や猫で骨盤腔(骨盤内)に発生する腫瘍には様々な種類があり、発生頻度には種や性による差があります。特に猫ではリンパ腫が悪性腫瘍の中で最も発生頻度が高く 、犬では消化管のリンパ腫や直腸の腺癌、膀胱移行上皮癌(TCC)、前立腺腫瘍などが代表的です 。一方、繁殖器系の卵巣・子宮腫瘍は避妊手術の普及により発生率が低く、卵巣腫瘍は全腫瘍の0.5~1.2%(犬)・0.7~3.6%(猫)、子宮腫瘍は0.3~0.4%(犬)・0.2~1.5%(猫)程度と報告されています 。以下では、骨盤腔内に位置する主な腫瘍を 発生頻度の高い順 に挙げ、それぞれの特徴(好発年齢、症状など)と外科治療(アプローチ法、術後管理、合併症、予後)について解説します。
発生率・好発: リンパ腫はリンパ球の腫瘍で、猫では全腫瘍の約30%を占める最も多い悪性腫瘍です 。犬でも造血器腫瘍としては最も頻度が高く、多中心型(全身リンパ節)、消化器型、縦隔型、皮膚型など様々なタイプがあります 。特に猫の消化器型リンパ腫は高齢猫に多く、小腸(回腸)に発生する傾向があり 、犬の消化管腫瘍で最も多いリンパ腫も結腸~直腸に発生する例があります 。発症年齢は中高齢が多く、猫白血病ウイルス(FeLV)感染が関与するタイプも知られます 。
臨床症状: リンパ腫は発生部位により症状が異なります。多中心型では表在リンパ節の無痛性腫大、消化器型では嘔吐・下痢・体重減少・食欲低下、大腸病変では血便や便秘、縦隔型では呼吸困難、皮膚型では皮膚潰瘍などが見られます 。骨盤腔内に限局した場合、例えば内腸骨リンパ節や腰下リンパ節の腫大で直腸や尿道が圧迫されれば、排便困難や排尿困難が現れることもあります。また猫のリンパ腫は症状が非特異的で進行まで気づきにくい場合もあります 。
診断: 血液検査ではしばしば貧血や高カルシウム血症などが見られることがあります。画像診断(X線・超音波・CT)により腹腔内リンパ節の腫大や消化管壁の肥厚などを確認し、生検で確定診断します 。骨盤腔内のリンパ節(内腸骨・腰下リンパ節)の生検・摘出術が行われることもあり、術前にCT等で腫大リンパ節と大血管・尿管の位置関係評価が重要です 。
外科治療とアプローチ: リンパ腫に対する根本治療は化学療法が主流で、外科治療は診断目的や緩和目的で行われます。消化管リンパ腫で腸閉塞を起こした場合は腫瘍部位の腸切除吻合術を行い、摘出組織で診断確定します 。腹膜後のリンパ節腫大に対しては下腹部正中切開で腹腔内に進入し、膀胱を側方へ牽引して後腹膜を開き、腫大リンパ節を摘出します (内腸骨動脈付近に位置するため注意深い手技が必要)。骨盤腔深部のリンパ節摘出では、恥骨結合分割などの骨盤骨切開は通常行われず、下腹部からのアプローチで後腹膜を剥離して可視化します(骨盤骨を切っても視野拡大に限界があるため) 。
術後管理: 消化管を切除した場合は一般的な開腹手術と同様に絶食管理からの徐々な食事再開、抗生物質投与(腸内細菌対策)、疼痛管理を行います。また、リンパ節摘出部位では後腹膜の剥離操作による出血や尿管損傷に注意し、ドレーン設置や尿量モニタリングを行うことがあります。術後合併症として消化管吻合部の縫合不全や腹膜炎、リンパ漏などに注意が必要です。
予後: リンパ腫の根本治療は抗がん剤による多剤併用化学療法(CHOP療法など)であり、外科は補助的です。高悪性度リンパ腫では治療しなければ予後不良ですが、化学療法により寛解が得られれば1年以上の生存も期待できます 。特に猫の低悪性度消化器型リンパ腫では適切な治療で85%以上の症例で症状改善・長期生存が得られるとの報告もあります 。一方、外科的に摘出できても全身病であるリンパ腫は再発・新病巣のリスクが高く、化学療法を並行しない限り根治は困難です。
発生率・好発: 犬では結腸〜直腸に腺癌が多発し(犬の消化管腫瘍の20~35%が腺癌) 、特にコリー系犬種やオス犬でリスクが高いとされています 。好発年齢はシニア期(7~12歳以上)が多く、小型犬では直腸ポリープ(腺腫)が高齢時に認められることがあります。猫の消化管腫瘍では犬ほど大腸の腺癌は多くありませんが 、まれに高齢猫で直腸に腺癌を生じることもあります(猫では消化管腺癌は小腸に多く浸潤性が高い) 。直腸以外の骨盤腔内消化管腫瘍として、肛門周囲腺腫瘍(肛門嚢アポクリン腺癌)は犬で比較的多いものの、これは直腸ではなく肛門傍組織から発生するため本項では割愛します。
臨床症状: 直腸内腫瘍が小さいうちは症状を示しにくいですが、腫瘤が大きくなると便の太さが細くなる、排便時に強くいきむ(しぶり)といった排便障害が目立つようになります 。飼い主が鮮血便に気づくこともありますが、出血は必発ではありません 。悪性腫瘍(腺癌)は局所浸潤性が強く、腫瘍が腸管周囲組織へ浸潤して直腸狭窄や閉塞を起こし、重度の便秘や食欲不振・元気消失を招くこともあります 。一部の腺癌では腸管を輪状に取り囲むように増殖して“ナプキンリング様狭窄”を形成し、完全閉塞に至るケースもあります 。直腸ポリープ(良性)も慢性のしぶりや少量出血を起こしますが、悪性への移行例もあるため注意が必要です 。転移は悪性腫瘍でしばしば起こり、局所の腰下リンパ節や肝臓への遠隔転移が報告されています 。
診断: 直腸指診で肛門近位数cmの腫瘤を触知できる場合が多く、直腸指診は簡便なスクリーニングになります 。直腸粘膜が脆い腫瘤では指診時に一部が剥離して採材でき、組織検査(生検)により良悪性の診断が可能です 。腫瘤が肛門から遠位(深部)の場合は内視鏡検査で観察・生検を行います 。X線造影やCT検査は腫瘍の位置・大きさや骨盤内浸潤の評価に有用です。腫瘤が粘膜下に限局する“ポリープ様病変”か、全層に及ぶ浸潤性かは術前には判断が難しいため、治療方針は悪性を想定して立てます 。
外科治療: 外科切除が基本的治療であり、直腸腫瘍の大部分は手術適応となります 。腫瘍の部位に応じて術式を選択します。直腸の末端(肛門から数cm以内)に限局する腫瘍では、経肛門的直腸粘膜切除または直腸全層引き抜き術(直腸プルスルー術)が用いられます 。プルスルー術では全身麻酔下に肛門から直腸を裏返すように引き出して腫瘍を含む腸管を輪状切除し、健常端どうしを肛門周囲で縫合します 。小型犬で約指一本分(数cm)の直腸長しかないため、一度に4cm以上切除すると吻合部位の緊張や狭窄リスクが高まります 。腫瘍が直腸の中~口側に位置し肛門から届かない場合は、骨盤の背側または腹側からアプローチする方法があります。背側アプローチでは尾根部から肛門背側を切開して直腸を露出し、腫瘍を含む直腸全層を部分切除します 。腹側アプローチでは下腹部正中切開で入り、必要に応じて恥骨結合を骨切りして骨盤腔を開き、直腸を可及的に遊離して腫瘍部を切除します 。骨盤骨切開により視野を拡大できますが、骨を切る侵襲が大きく、視認できる範囲にも限界があるため実施例は多くありません 。腫瘍が広範囲に直腸を侵食し切除不能な場合、人工肛門造設(結腸を腹壁に開口する手術)が検討されることもあります 。しかし人工肛門は管理が難しくQOLへの影響も大きいため、現実には抗炎症薬・下剤などの内科的緩和療法に留めるケースもあります 。
術後管理: 直腸手術後は便のコントロールと感染管理が重要です。吻合部位の縫合に緊張がかかっている場合は、軟便化剤(下剤)を投与して排便をスムーズにし、縫合部への負荷軽減を図ります。また直腸は常在菌が多いため広域抗生物質の投与や、術中の局所洗浄を行って感染予防に努めます。排便時の疼痛管理には鎮痛剤を用い、必要に応じて一時的に便通の回数を抑える処置(食餌制限や一時的静脈栄養)を取ることもあります。プルスルー術では肛門吻合部を保護するため、エリザベスカラーの装着や頻回の肛門周囲清拭が必要です。合併症として注意すべきは縫合不全(消化管内容漏出)と吻合部狭窄です。とくに骨盤腔内は感染が波及すると膿瘍形成しやすいため、発熱・疼痛・排便困難の増悪があれば腹腔内洗浄・ドレナージを検討します。また一過性の便失禁は術後早期に見られることがありますが、多くは数週間で改善します。直腸括約筋や神経の損傷が大きい場合、恒常的な便失禁が残る可能性もあるため、術前に飼い主とリスクを十分相談します。
予後: 良性のポリープであれば外科的切除により根治が期待でき、再発もほとんどありません。一方、直腸腺癌(悪性)では術後に局所再発やリンパ節・肝への転移が起こる例があり、予後は症例によりさまざまです 。完全切除できた場合でも、文献報告では1年生存率がおおむね50%前後とされています(腫瘍の組織型によっては中央値約1年の生存期間) 。病変が円柱状に広がる「リング状腺癌」では術後早期再発しやすく予後不良(数ヶ月)ですが、ポリープ様の限局腫瘍では1年以上生存する例もあります 。直腸腺癌に対する術後化学療法の有効性は明確ではありませんが、一部でドキソルビシンなどを用いた補助療法が試みられています 。全般的に直腸の悪性腫瘍は早期発見が難しく進行してから見つかることが多いため 、高齢動物で排便習慣の変化や血便がみられた場合は早めの検査と治療が推奨されます。
発生率・好発: 膀胱腫瘍の大部分(70~80%以上)は移行上皮癌(TCC)で、犬の膀胱腫瘍全体の発生率は犬全腫瘍の2%未満とされています 。好発は高齢のメス犬で、犬種ではスコティッシュ・テリア、シェルティ、ビーグルなどでリスクが高いことが知られます 。猫の膀胱腫瘍は非常に稀ですが、発生すれば同様に移行上皮癌が最多です 。発生部位は膀胱三角部(膀胱底部)に集中する傾向があり、進行すると尿道や前立腺部にも浸潤します 。犬では慢性的な膀胱炎や一部の除草剤曝露との関連が示唆されています 。
臨床症状: 血尿、頻尿、排尿困難など、慢性膀胱炎に類似した症状が主です 。抗生剤治療で改善しない血尿が持続する場合、本腫瘍を疑います。また膀胱三角部の腫瘍が大きくなると尿管や尿道を閉塞し、尿路閉塞(無尿・乏尿)や腎後性腎不全を引き起こすこともあります。腫瘍が骨盤腔内で大きく成長し、骨盤や腰椎に転移すると、後肢の跛行や神経症状(腰痛、歩行困難)が出現する場合もあります 。全身状態としては食欲不振や体重減少が進行例で見られます。なお膀胱粘膜の良性ポリープも犬では稀にありますが、大半(97%以上)は悪性とされます 。
診断: 尿検査では血尿や腫瘍細胞の検出がありますが、確定には組織診断が必要です。非侵襲的検査として、TCCに反応する尿中マーカー試験(BARD検査など)がありますが感度特異度に限界があります。確定診断は経尿道カテーテルによる腫瘍細胞採取や外科的生検です。画像診断では超音波検査で膀胱内の不整な腫瘤陰影や壁肥厚が観察されます。X線造影やCTにより腫瘍の位置・大きさと尿管/尿道の狭窄を評価し、胸部X線や腹部超音波で転移巣(リンパ節、肺、骨)の検索を行います。
外科治療: 膀胱腫瘍の根治切除は困難なケースが多いです。特に膀胱三角部や尿道に及ぶTCCでは、腫瘍を広範囲に切除すると尿管・尿道の再建が難しく、安全なマージン確保も困難なため、外科的切除は限られた症例(腫瘍が膀胱尖端部に限局する場合など)に適応されます 。可能な場合は部分膀胱切除術(腫瘍を含む膀胱壁の部分切除)を行い、残存膀胱壁どうしを縫合します。膀胱は約75%を切除しても再生・収縮する能力がありますが、それ以上の大切除は膀胱容量減少による頻尿を招きます 。腫瘍が尿道口付近に及ぶ場合、尿道も一部含めて切除し膀胱と尿道を再吻合する術式(膀胱頸部切除)を検討します。ただし膀胱三角部の腫瘍では両側尿管開口部も巻き込むため、尿管の温存ができないケースが多くあります。そのような場合には、尿路転換術として尿管を尿道や皮膚に移設する方法(尿管尿道吻合、皮膚瘻造設など)が報告されています 。例として、TCCに対し膀胱全摘出+尿管尿道吻合や尿管皮膚瘻が試みられたケースがありますが、技術的難易度が高く一般的ではありません 。外科切除が不可能な場合、ステント留置による尿道拡張や、腫瘍減量術(デバルキング)で尿路通過を確保する緩和的手術が検討されます。
術後管理: 膀胱切除術後は尿路の開通維持と感染予防が肝要です。術後、縫合部位の安静を保つために尿道カテーテルを数日間留置し、膀胱内圧を下げて縫合線の保護を図ります。また持続的に膀胱洗浄を行い、血餅や沈渣による尿路閉塞を防ぎます。尿失禁がある場合は皮膚炎防止のためクリーム塗布やおむつの使用も検討します。術部のドレーン留置は基本的に不要ですが、部分切除の範囲が広い場合や尿漏れリスクが高い場合は腹腔内に閉鎖式ドレーンを置き、尿の漏出兆候(ドレーン液中のクレアチニン濃度上昇など)を監視します。合併症として尿瘻(縫合不全による尿漏れ)や尿管狭窄、尿失禁に注意します。とくに膀胱三角部付近を切除した場合、内尿道括約筋機能の低下で尿失禁が起こることがあります。また再発予防や残存腫瘍に対し、非ステロイド系消炎剤(ピロキシカムなど)の投与や化学療法(ミトキサントロン併用など)が術後補助療法として実施されることがあります。
予後: 膀胱移行上皮癌の予後は一般に不良で、生存期間も短い傾向があります 。膀胱三角部に発生した場合、治療しなければ尿路閉塞で数ヶ月以内に死亡するケースが多いです 。早期に発見し腫瘍を完全切除できれば1年以上生存した報告もありますが、膀胱腫瘍の約20%は術後6ヶ月以内に再発するとされています。内科治療(ピロキシカム単独など)でも中央値で6~7ヶ月前後の延命効果が報告されており、積極治療しない場合と比較してある程度QOLと生存期間を改善できます。近年、分子標的薬(例えばイマチニブ)や免疫療法(モガムリズマブによる抗CCR4抗体治療など)が研究されていますが 、いずれも標準治療には至っていません。総じてTCCは高悪性度で転移率も高く(肺・骨転移など) 、完治は難しい腫瘍です。飼い主には、症状緩和と生活の質維持を重視した治療計画を説明し、こまめな排尿チェックや定期検査で早期対応することが重要です 。
発生率・好発: 犬の前立腺腫瘍で最も多いのは前立腺癌(腺癌)であり、高齢の雄犬(平均10歳前後)に発生する悪性腫瘍です 。発生そのものはそれほど頻繁ではなく、犬全腫瘍の中では少数ですが、一度生じると進行が早い点で重要です。未去勢・去勢に関わらず発症し、疫学的には去勢犬での発生が半数近くとの報告もあります 。猫の前立腺腫瘍はきわめて稀です(猫では前立腺自体が小さく、去勢により萎縮するため)。前立腺癌は局所浸潤性が強く、腰下リンパ節、骨盤骨、腰椎、肺などへの転移が起こりやすいことが特徴です 。
臨床症状: 前立腺が肥大・腫瘍化すると直腸と尿道を物理的に圧迫するため、しぶり(排便困難)や排尿困難(尿線の細小化、頻尿、血尿)が生じます 。オス犬で便が細くなる、排便姿勢を取っても出ないといった症状や慢性の血尿が見られた場合、前立腺疾患を疑います。腫瘍による炎症で発熱や食欲低下を伴うこともあります。進行すると後肢のふらつきや歩行異常、疼痛が現れます 。これは骨盤腔内の神経圧迫や骨盤・腰椎への骨転移によるものです。触診では直腸検査で前立腺の腫大や不整な硬結を感じることがあり、特に前立腺が左右非対称に腫大し硬く固定されている場合は腫瘍を強く疑います。レントゲン検査では前立腺部の石灰化像や骨転移巣の確認、超音波検査では前立腺内の腫瘤形成や嚢胞、後部尿道への浸潤が評価できます 。
診断: 確定診断には前立腺の細胞診・生検が有用です。直腸越しに針吸引して細胞診を行う方法(経直腸FNA)や、超音波ガイド下経会陰生検があります。ただし腫瘍細胞が取れない場合や、周囲組織への播種リスクを考慮し、確定診断せずとも臨床像で治療方針を決めることもあります。血液検査では炎症反応(白血球増多、CRP上昇)や貧血が見られることがあります。前立腺特異抗原(PSA)は犬では有用性が低く、代わりにBACP(膀胱・前立腺癌特異抗原)が検討されていますが一般診療では浸透していません。CTやMRI検査は腫瘍の範囲と転移の評価に有用で、外科計画時には骨盤内での浸潤範囲(膀胱頸部や周囲組織への波及)を把握します 。
外科治療: 前立腺癌に対する根治的治療は難しく、外科手術も限られた症例でしか適応になりません。明らかな遠隔転移や膀胱・尿道への広範浸潤がない場合に、前立腺全摘出術(必要に応じて周囲リンパ節切除を含む)を試みることがあります 。手術アプローチは腹側正中切開で骨盤腔に進入し、場合によっては恥骨結合離開または一部骨切りで視野を確保します。前立腺は尿道と精管を伴うため、全摘出する際は膀胱頸部から尿道を含めて切離し、膀胱と尿道の端を再吻合します 。この際、尿道括約筋(外尿道括約筋)の機能を損ねる可能性が高く、術後の尿失禁はほぼ避けられません。術野には多くの血管が集まり出血しやすいため、電気メスやリギュアシュア等を用いて止血しながら慎重に摘出します。部分切除(腫瘍の一部のみ切除)や内包膜内摘出といった縮小手術は根治性は低いものの、尿道通過を確保し症状緩和を図る目的で検討されます 。実際、ある研究では前立腺全摘よりも被膜内亜全摘の方が生存期間が長かったと報告され、過度に侵襲的な切除はかえって予後を損ねる可能性も指摘されています 。手術不能な場合や飼い主が侵襲的治療を望まない場合、尿道ステント留置(尿道を内側から拡張して閉塞を防ぐ処置)やホルモン療法(エストロゲン製剤やフィンステリド投与)も対症的に行われます。
術後管理: 前立腺全摘を行った場合、術後の尿路管理が最も重要です。膀胱と尿道の吻合部を保護するため、膀胱カテーテルを1週間程度留置し持続排尿させます。カテーテル抜去後はほぼ確実に尿失禁状態となるため、オムツ装着や頻回の排尿補助で皮膚炎を防ぎます。尿失禁による尿路感染リスクが高いため、広域抗生剤の予防投与や定期的な尿培養検査を実施します。骨盤腔内のドレーン留置は、尿漏れや出血がなければ不要ですが、術中に尿道断端からの漏尿が懸念される場合はドレナージしておきます。疼痛管理にはオピオイドやNSAIDsを組み合わせ、歩行困難な症例では介助帯での排泄補助など生活面のケアも必要です。また、骨盤骨切開を行った場合は骨をステンレスワイヤーやプレートで固定し、4~6週の運動制限を指示します。合併症として最も多いのは前述の永続的な尿失禁で、これは外科的には改善困難です。また尿道狭窄や尿管狭窄(尿道吻合部瘢痕化、周囲炎症による)が起きると排尿がさらに困難になるため、抜去後もしばらくは尿量・尿流のモニターを行います。前立腺摘出に伴う射精能力の消失や精液産生低下については、去勢犬では元々影響がなく、未去勢でも高齢で繁殖予定のない症例がほとんどのため臨床上大きな問題にはなりません。
予後: 前立腺癌は悪性度が非常に高く、現時点で確立された治療法がありません 。多くの症例で診断時にすでに転移や浸潤が認められ、外科・放射線・化学療法を行っても予後不良であることが多いです 。報告によってばらつきはありますが、無治療では1~2ヶ月、積極治療でも平均6ヶ月前後で死亡する例が多いのが現状です 。ただし、一部には腫瘍の進行が緩徐なケースもあり、NSAIDs(ピロキシカムなど)の投与のみで半年~1年以上生存した例も報告されています 。新規治療として分子標的薬(ラパチニブ等)の試験的投与や免疫療法が行われていますが、いずれもごく初期段階です 。飼い主には長期管理は難しく平均余命も短いことを正直に説明し、痛みの緩和や排泄補助など緩和ケア中心の方針も検討します 。なお定期検診で前立腺の超音波チェックや直腸検査を行うことで、前立腺疾患を早期発見できる可能性があるため、高齢の未去勢犬では検診を勧めます 。
発生率・好発: 卵巣腫瘍は犬猫ともに発生頻度が低く、犬全腫瘍の0.5~1.2%、猫で0.7~3.6%に過ぎません 。多くの雌で若いうちに避妊手術(卵巣摘出)が行われるため、近年の発生はさらにまれになっています 。とはいえ未避妊の雌で中高齢になるまで卵巣が残っていれば腫瘍のリスクは存在し、高齢・未経産の雌犬で発生しやすいとされています 。卵巣腫瘍には上皮性腫瘍(卵巣癌、嚢胞腺癌など)、性索間質性腫瘍(顆粒膜細胞腫など)、胚細胞腫瘍(未分化胚細胞腫、奇形腫など)、間葉系腫瘍(平滑筋腫など)に分類されます 。犬では上皮性腫瘍と性索間質性腫瘍が大半を占め、上皮性腫瘍は全卵巣腫瘍の約40~50%で、多くが悪性(卵巣腺癌など)と報告されています 。顆粒膜細胞腫は性索間質腫瘍の代表で卵巣腫瘍全体の約半数に上り、良性のことも多いですが約20%で転移が認められます 。卵巣癌(上皮性悪性腫瘍)は48%で転移し、転移部位は腹腔内リンパ節、大網、肝臓などが典型です 。顆粒膜細胞腫の転移は約20%で、腰下リンパ節、膵臓、肺などへの転移や腹膜播種が報告されています 。猫の卵巣腫瘍も稀ですが、発生すれば犬と同様に上皮系腫瘍や顆粒膜細胞腫が報告されています。
臨床症状: 卵巣腫瘍は無症状のまま進行することが多く、腹部触診で偶然腫瘤を触知したり、腹部膨満で気づかれるケースが多々あります 。腫瘍が大きくなると腹水貯留や腫瘤自体で腹囲膨満をきたし、結果として食欲不振、呼吸促迫が現れることがあります 。特に腹膜播種性の卵巣癌では大量の腹水が溜まりやすいです 。顆粒膜細胞腫などの一部腫瘍は性ホルモン産生能を持つため、エストロジェン過剰により外陰部腫大・持続性発情、不整出血、乳腺腫大などの兆候が見られることがあります 。慢性的なエストロジェン過剰は汎白血球減少症(骨髄抑制)を引き起こすこともあり注意が必要です 。またプロゲステロン過剰では子宮内膜過形成~子宮蓄膿症を誘発することもあります 。一方、非機能性腫瘍では明らかな外分泌症状は出ず、腫瘍の物理的存在による症状(腹腔内圧迫症状)が主体です。卵巣は腹腔内(腎臓の尾側付近)に位置するため、腫瘤が巨大化すると腎臓や後大静脈を圧迫し、水腎症や後肢浮腫を生じることもまれにあります。
診断: 腹部超音波検査やCTで卵巣部位に腫瘤を確認し、内部の嚢胞構造・石灰化・中隔の有無などから種類を推測します。卵巣腫瘤と判明したら、胸腹部画像で転移検索(胸部X線で肺転移、超音波で肝やリンパ節転移)を行います。血液検査では特異的マーカーはないものの、顆粒膜細胞腫ではエストロジェン増加や骨髄抑制による貧血・好中球減少がある場合があります。経皮的針生検は腹膜播種のリスクがあるため基本的に行いません 。確定診断は摘出後の病理組織検査になります。
外科治療: 卵巣腫瘍に対しては外科手術(卵巣子宮摘出術: OHE)が第一選択です 。転移がなければ片側性の腫瘍でも両側卵巣と子宮を全て摘出し、将来の発生源を断ちます 。開腹時には腹腔内を詳細に観察し、大網や横隔膜、肝表面、他の臓器に播種結節がないか確認します 。疑わしい病変は生検し、同時に摘出可能な転移巣があれば摘出します。卵巣腫瘍は脾臓などへの転移もあり得るため、術前画像で把握できなかった異常も見逃さないよう注意深く探索します 。腹膜播種を最小限に抑えるため、腫瘍摘出の際は卵胞液をこぼさない・腫瘍被膜を破らないよう丁寧に組織を扱うことが重要です 。卵巣部の血管(卵巣動静脈)は腎動脈から分岐するため太く、確実な結紮で止血します。骨盤腔内に腫瘍が落ち込んでいる場合、卵巣提索を断つ際に尿管や後大静脈を損傷しないよう十分注意します。必要に応じて自動吻合器やシーリングデバイスで処理します。骨盤腔への固定や浸潤が強い場合、一部子宮広間膜や周辺組織をブロックごと摘出することもあります。化学療法・放射線療法は明確なエビデンスが少なく、標準治療には組み込まれていません 。しかし、胸水・腹水を伴う転移症例ではシスプラチンなど白金製剤の腹腔内投与で生存期間延長の可能性が報告されています 。このほかドキソルビシンやカルボプラチン静注が試みられることもありますが、奏功率は一定しません。
術後管理: OHE後の管理は通常の避妊手術と同様ですが、腫瘍症例では術後合併症や再発監視が重要です。大型腫瘍を摘出した場合、術後出血や腹腔内残存転移病変の進行に注意します。腹水が多かった症例では、術中に排液しても再び溜まる可能性があるため腹囲の計測や呼吸状態のチェックを続けます。必要なら腹腔穿刺で対症療法を行います。顆粒膜細胞腫で骨髄抑制があった症例では、術後もしばらく血球数のモニタリングを行い、感染予防に留意します。卵巣腫瘍は再発時に腹膜播種として現れることが多いため、術後も定期的な超音波検査で肝臓や脾臓、腎臓周囲のチェックを行います。摘出部位は卵巣が存在した腎周囲ですが、そこに再発腫瘤が生じることもあるので注意します。傷口管理は通常通りで、7~10日後に抜糸を行います。
予後: 卵巣腫瘍の予後は病理結果と病期によって大きく異なります。良性腫瘍(卵巣嚢腫や良性顆粒膜細胞腫など)で、局所に限局して完全切除できた場合、予後はきわめて良好で事実上治癒と考えてよいでしょう 。一方、卵巣癌や悪性の顆粒膜細胞腫で転移が判明した場合、予後は不良とされています 。転移や播種があっても外科的に可能な限り切除したうえで化学療法を併用することがありますが、その効果はまちまちです。腹膜播種による腹水コントロールが鍵となり、上述の腹腔内化学療法を取り入れることで一部延命できる症例もあります 。概ね、完全切除例では2年以上生存の報告もありますが、悪性で転移がある場合は半年~1年程度の短い生存期間に留まることが多い印象です。なお予防策としては若齢時の避妊手術が最も有効で、卵巣摘出により卵巣腫瘍は確実に予防できます 。繁殖計画のない飼い主には避妊手術のメリットとして十分説明すると良いでしょう。
発生率・好発: 犬の子宮由来の腫瘍は非常にまれで、未避妊雌犬において中高齢で発生することがあります 。避妊率の高さもあり、発生頻度は犬全腫瘍の0.3~0.4%程度とされています 。猫の子宮腫瘍もごく稀ですが、報告例では子宮腺癌などが高齢未避妊猫に発生したケースがあります(猫では0.2~1.5%程度) 。犬の子宮腫瘍の多く(約90%)は良性の平滑筋腫(いわゆる子宮筋腫)で、残り約10%が悪性の平滑筋肉腫です 。子宮癌(上皮性悪性腫瘍)は犬では極めて稀とされています 。腫瘍の起源としては子宮筋層から発生する間葉系腫瘍が主で、まれに子宮内膜から腺癌を生じることがあります。膣腫瘍(膣平滑筋腫)も骨盤腔内で子宮と連続して発生しうるため鑑別に挙げられます。
臨床症状: 子宮腫瘍は小さいうちは症状をほとんど示しません。多くは偶然発見されます 。腫瘤が大きくなり子宮腔内を閉塞すると、膣から帯下様の分泌物(粘液や出血)が出たり、合併症として子宮蓄膿症や子宮水腫を引き起こすことがあります 。実際、子宮内膜ポリープが子宮腔を塞いで子宮水腫を招いた例も報告されています 。極端に大きく成長した子宮腫瘤では、腹腔内で占拠性病変となり周囲の膀胱や結腸を圧迫して排尿障害・排便障害を引き起こす可能性があります 。外見上も腹部膨満として現れ、呼吸が浅く速くなることもあります 。ただし通常はそこまで巨大化する前に他の疾患の際に発見されることが多いです。膣から明らかな出血や腫瘤脱出がある場合はむしろ膣腫瘤を疑います。子宮腫瘍単独では全身状態の悪化は稀ですが、併発疾患(乳腺腫瘍、子宮蓄膿症など)により食欲不振・元気消失が見られることもあります 。
診断: 未避妊の高齢雌で腹腔内に不明腫瘤が触知された場合、それが子宮・卵巣由来の可能性を常に念頭に置きます 。超音波検査では子宮が拡張し壁が肥厚している像や、内部に腫瘤様エコーが認められることがあります。腫瘤と膀胱・腸管との位置関係や、子宮由来か卵巣由来かの判別にも超音波は有用です 。X線検査では巨大腫瘤の場合に腹部陰影の占拠が見られ、石灰化を伴う平滑筋腫では石灰化像が写ることもあります。確定診断は摘出後の病理検査ですが、術前に真の子宮腫瘍かどうかを判断するには併発疾患の有無がヒントになります。例えば乳腺腫瘍や子宮蓄膿症を併発している未避妊高齢雌では、生殖器系腫瘍(卵巣・子宮)の合併も比較的多く報告されるため、一度の手術で包括的に摘出・検査する方針が取られます 。
外科治療: 子宮腫瘍が疑われる場合、治療は卵巣子宮全摘出術(避妊手術)となります 。多くは他疾患治療時に偶然見つかり、その場で卵巣子宮摘出が行われて治癒しています 。術式自体は通常の避妊手術と同様で、下腹部正中切開から子宮体部を露出し、卵巣側・子宮側の血管と靭帯を結紮切断して子宮と卵巣を摘出します。腫瘍が子宮頸部付近にある場合、腟への移行部で切離します(必要に応じて腟壁を一部切除)。腫瘍が巨大な場合や膀胱・大腸に癒着している場合、剥離に時間を要し出血もしやすくなります 。その際は骨盤腔内での作業になるため、助手により腸管や膀胱を偏側へ牽引してもらい視野を確保し、腫瘍を含む子宮と周囲組織を一塊で慎重に摘出します 。平滑筋腫は被膜に包まれ柔らかいため比較的剥離しやすいですが、悪性平滑筋肉腫では周囲組織への浸潤があり不完全切除となる可能性もあります。その場合でも主腫瘍塊を減じる減量手術を行い、断端を電気メスで焼灼するなどして再発を遅らせる工夫をします。基本的に子宮腫瘍は摘出により症状が解消するため、合併していた子宮蓄膿症・水腫も同時に治癒します。
術後管理: 避妊手術と同様の術後管理で、大きな注意点はありません。術後早期に元気・食欲は戻ることが多いですが、高齢例では麻酔後の覚醒遅延や術後出血に注意します。巨大子宮腫瘤を摘出した場合、急な腹圧低下で一時的に血圧変動が起きることがあり、術後数時間は点滴と血圧・脈拍モニターを続けます。子宮腫瘍摘出と同時に子宮蓄膿症の処置も行った場合、術後の抗生剤投与や子宮内容排出による中毒症状のモニター(白血球や体温チェック)を行います。基本的に子宮摘出後は腹腔内の炎症源がなくなるため安定しますが、蓄膿症合併例では腎不全やDICのリスクがあるため注意深く経過観察します。傷口は通常1週間程度で順調に治癒します。
予後: 犬の子宮腫瘍の大部分は良性平滑筋腫であり、摘出により完全に治癒します 。実際、多くの症例は避妊手術時に偶発的に発見され、そのまま摘出されて以後問題なく過ごしています 。悪性平滑筋肉腫であっても局所に留まっていれば外科的に根治可能です。子宮平滑筋肉腫は平滑筋腫からの悪性転化と考えられ、発生率自体低いうえ転移もしにくい腫瘍です 。ただし、子宮腺癌の報告例では遠隔転移(肺転移など)により術後半年~1年で死亡した例もあり、上皮性悪性腫瘍の場合は注意が必要です。総じて子宮腫瘍は発生が稀で予後良好なことが多いですが、見逃されて巨大化すると他臓器障害を起こします 。未避妊の高齢雌では乳腺腫瘍や子宮蓄膿症と合わせて生殖器腫瘍のスクリーニングを行い、早期に対応すればほとんどが解決可能です。
※本記事は獣医学の学習用途を想定した解説です。個々の症例では病期・合併症・生活環境により最適解が異なるため、最終判断は担当獣医師の診断に基づいてください。