ワンちゃんの「軟口蓋過長症」について
〜飼い主さんが知っておきたい診断から治療のすべて〜
この資料は、ワンちゃんの「軟口蓋過長症(なんこうがいかちょうしょう)」という病気について、その診断から治療までを詳しく解説したものです。特にフレンチ・ブルドッグやパグなどの鼻が短い「短頭種」のワンちゃんによく見られる病気ですが、他の犬種でも起こることがあります。
1. そもそも「軟口蓋過長症」とはどんな病気?
まず、「軟口蓋」とは、口の奥、上あごの喉に近い部分にある柔らかい粘膜のヒダのことです。人間でいうと、「のどちんこ」のあたりに相当します。
- 正常な状態: 本来、この軟口蓋の先端は、呼吸の通り道にある「喉頭蓋(こうとうがい)」というフタの先端にギリギリ触れるか触れないか、くらいの長さです。
- 過長症の状態: この軟口蓋が生まれつき長すぎて、喉頭蓋を越えて気管の入り口にまで垂れ下がり、空気の通り道を邪魔してしまっている状態が「軟口蓋過長症」です。
垂れ下がった軟口蓋が呼吸のたびに振動したり、気道の入り口を塞いでしまったりすることで、さまざまな症状が引き起こされます。
2. どんな症状が出たら疑うべき?(診断のポイント)
この病気の診断は、飼い主さんが気づく「症状」と、病院での「検査所見」を組み合わせて行います。
飼い主さんが気づく主な症状
- 「ガーガー」「グーグー」といった、いびきのような呼吸音(吸気性喘鳴音)がする。
- 口を開けて、苦しそうに呼吸することが多い。
- 重症化すると、呼吸困難、舌の色が紫色になるチアノーゼ、体温が異常に上がる高体温、肺に水がたまる肺水腫などを起こすことがあります。
病院で行う検査
- レントゲン検査: 横向きで首のレントゲンを撮ると、正常な犬に比べて、明らかに軟口蓋が喉頭蓋を越えて気管の方へ伸びているのが確認できます。
- 内視鏡検査: レントゲンだけではわからない部分を詳しく見るために、麻酔をかけて喉の奥にカメラ(内視鏡)を入れて直接観察することが非常に重要です。
【知っておくべき重要なこと:短頭種気道症候群(BOAS)】
短頭種のワンちゃんの場合、軟口蓋過長症は単独で起こることは少なく、「短頭種気道閉塞症候群(BOAS)」と呼ばれる、呼吸を苦しくさせる複数の異常の一つであることがほとんどです。
他に併発しやすい異常には、以下のようなものがあります。
- 外鼻孔狭窄: 鼻の穴が狭い。
- 喉頭小室の外反: 気管の入り口近くの粘膜が、強い呼吸努力によって吸い込まれて裏返ってしまう。
- 扁桃の腫大: 喉の奥にある扁桃が腫れている。
このため、内視鏡で喉の奥をしっかり観察し、「どこが、どのくらい悪いのか」を正確に把握することが、最適な治療法を決める上で不可欠です。
3. どんな治療法があるの?
この病気の最も効果的な治療法は、長すぎる軟口蓋を外科手術で切除することです。しかし、症状の重さによって、まず内科的な治療で状態を安定させることがあります。
【A】呼吸困難など、命に関わる「重い症状」が出ている場合の緊急治療
緊急時は、まず命を救うための処置が最優先されます。
- 酸素吸入: 苦しい呼吸を楽にするため、高濃度の酸素を吸わせてあげます。落ち着いたら、酸素濃度を管理できるICUのようなケージ(酸素室)で管理します。
- 炎症を抑える薬の投与: 喉の腫れ(浮腫)を急いで引かせるため、即効性のあるステロイド剤を注射します。
- 興奮を抑える薬の投与: パニックになると余計に呼吸が苦しくなるため、鎮静剤を注射して落ち着かせます。
- 体を冷やす: 呼吸が苦しいと体温が危険なレベルまで上がってしまうことがあるため、凍らせた点滴パックや冷たいタオルで脇の下や内股を冷やしたり、部屋の温度を下げたりします。
具体的なお薬の処方例
- まず酸素吸入と体の冷却を行います。
- 血管から点滴で以下の薬を投与します。
- メチルプレドニゾロンコハク酸エステルナトリウム(ソル・メドロール注など): 体重1kgあたり5 〜10 mgを静脈注射。緊急時に1〜2回使用。
- プレドニゾロンコハク酸エステルナトリウム(水溶性プレドニゾロン注など): 体重1kgあたり 1〜2mgを静脈注射。緊急時に1〜2回使用。
- アセプロマジンマレイン酸塩: 体重1kgあたり0.025〜0.05mgを静脈注射。緊急時に1〜2回使用。(※この注射薬は現在、日本では販売されていません)
【B】症状が比較的「軽い」場合の内科的管理
日常生活は送れるものの、興奮した時などにいびき音がするような場合は、生活習慣の改善で症状をコントロールします。
- 体重管理: 肥満は呼吸をさらに苦しくします。まず1ヶ月で体重の10%減を目指すなど、ダイエットが非常に重要です。
- 首輪から胴輪(ハーネス)へ: 首輪は喉を圧迫し、炎症を悪化させる原因になります。必ず胴輪に変更しましょう。
- 運動制限: 激しい運動は呼吸困難の引き金になります。お散歩はゆっくり、無理のない範囲で行いましょう。
- 温度・湿度の管理: 暑い時間帯の散歩は避けましょう。涼しい部屋で過ごさせ、散歩の際はいつでも水を飲ませ、体を冷やせる準備をしておきましょう。
- 薬の投与: 必要に応じて、炎症を抑えたり、興奮を鎮めたりする薬を使います。
具体的なお薬の処方例
- まずは薬を使わずに上記の生活改善を試みます。
- 必要に応じて以下の薬を使用します。
- アセプロマジンマレイン酸塩: 体重1kgあたり0.025〜0.05mgを筋肉注射または皮下注射で1日3〜4回。または体重1kgあたり0.05mgの注射液をシロップに混ぜて飲ませる(1日3〜4回)。(※日本では未発売)
- ブトルファノール酒石酸塩(ベトルファール注など): 体重1kgあたり0.05〜0.5mgの注射液をシロップに混ぜて飲ませる(1日3〜4回)。
- プレドニゾロン(プレドニン錠など): 体重1kgあたり0.5〜1mgを皮下注射または飲み薬で1日1〜2回。
- ロベナコキシブ(オンシオール錠など): 体重1kgあたり1mg を飲み薬で1日1回。
【最近の診断と治療の進歩】
近年、診断や治療の方法も進化しています。
- より詳しい診断法: 運動後の呼吸状態をスコア化する「運動負荷試験」や、気道を3Dで見る「CT検査」で、より正確な重症度評価や手術計画が可能になっています。
- 外科手術の方法: 「炭酸ガスレーザー」や、出血させずに切除できる「血管シーリングデバイス(LigaSureなど)」により、ワンちゃんの負担が少ない手術が増えています。
- 多段階手術: 軟口蓋だけでなく、狭い鼻の穴を広げる手術などを同時に行うことで、呼吸の通り道を総合的に改善します。
- 胃薬の併用: 呼吸が苦しいと胃酸が逆流しやすいため、それを抑える薬を併用することが推奨されています。
4. 今後の見通し(予後)について
- 重い症状の場合: いかに迅速に病院で緊急処置を受けられるかが、その後の状態を大きく左右します。
- 軽い症状の場合: 体重管理や生活環境の管理を徹底し、必要に応じてお薬を使うことで、良好な状態を維持できることが多いです。しかし、根本的な解決には外科手術が最も有効です。
5. 飼い主さんに知っておいてほしいこと(Key Point)
- 🚨 緊急時の心構え: もしワンちゃんが呼吸困難に陥ったら、すぐに体を冷やし、急いで病院へ向かってください。病院側も、すぐに酸素吸入や冷却ができるよう準備しておくことが重要です。
- ⚠️ 「いびき」は正常ではない: 短頭種のワンちゃんだからといって、「ガーガー」という呼吸音がするのは正常ではありません。それは呼吸が苦しいサインです。肥満、激しい運動、暑い場所は絶対に避けましょう。
- 💔 隠れた酸欠に注意: 舌の色がピンク色で普通に見えても、実は体内の酸素が不足している(低酸素血症)ことがあります。見た目だけで判断せず、少しでも呼吸がおかしいと感じたら、すぐに獣医師に相談してください。