047-700-5118
logo logo

診察時間
午前9:00-12:00
午後15:00-18:00
手術時間12:00-15:00
水曜・日曜午後休診

banner
NEWS&BLOG
14歳の「猫生」を輝かせる戦略的治療 ── 複数の病気と戦うための「引き算」の選択【肥満細胞腫、腎臓病、高脂血症】

シニア期を迎えた動物たち、特に10代半ばを超えた猫ちゃんの診療では、一つの病気だけを見ていれば良いということは稀です。
体の中にいくつかの「爆弾」を抱えながら、それでも「今日」という一日を穏やかに過ごすために、私たち獣医師と飼い主様は、時に非常に難しい決断を迫られます。

今回は、14歳の猫ちゃん(Aちゃん)の実例を通じ、「相反する3つの難病」に対してどのように優先順位をつけ、生活の質(QOL)を守り抜いているか、その戦略的な治療選択についてお話しします。

この記事のポイント


完治を目指す「足し算」の治療ではなく、その子にとっての苦痛を回避する「引き算」の治療を選択することで、統計的な余命を超えて穏やかな時間を過ごしている実例です。

体の中で起きている「3つの衝突」

Aちゃんの体には、それぞれ性質の異なる3つの病気が同居していました。
これらは単独でも厄介ですが、組み合わせることで治療の方針が互いに邪魔をし合う、非常に複雑な状況を生み出しています。

  • 肥満細胞腫(悪性腫瘍)
    「肥満細胞」という免疫細胞ががん化したものです。Aちゃんの場合、皮膚だけでなく、免疫の臓器である「脾臓」に転移が見られました(ステージIV)。このがんはヒスタミンなどを放出し、強い吐き気や胃潰瘍、急激な血圧低下(ショック)を招くリスクがあります。
  • 慢性腎臓病(CKD)
    高齢猫の多くが患う病気です。腎機能が低下し毒素を排出できなくなるため、脱水を防ぐケアや、腎臓に負担をかけない食事管理が生涯必要になります。
  • 重度の高脂血症
    血液中の中性脂肪(TG)が測定できないほど高値(500 mg/dl以上)を示していました。血液がドロドロになり、致死的な「急性膵炎(激痛)」を引き起こすリスクが跳ね上がっている状態です。

「あちらを立てればこちらが立たず」の矛盾

ここで私たちは大きな壁にぶつかりました。それぞれの病気の「教科書通りの治療」が、矛盾してしまうのです。

  • 食事の矛盾:
    腎臓を守る「療法食」はエネルギー確保のため高脂肪になりがちです。しかし、それを食べると高脂血症が悪化し、命に関わる膵炎のリスクが高まります。逆に、膵炎を防ぐ低脂肪食は、腎臓ケアとは逆行することがあります。
  • 薬の矛盾:
    全身に散らばったがんを叩くには強い抗がん剤が必要ですが、副作用で腎臓にトドメを刺しかねません。

精密検査を武器にした「引き算」の選択

八方塞がりに見える状況で、私たちは「遺伝子検査」という武器を使いました。
がん細胞の遺伝子を詳しく調べた結果、Aちゃんのがんは「c-kit遺伝子のExon 8」という場所に変異があることがわかったのです。

これは治療戦略上、決定的な意味を持ちます。
このタイプの変異には、「分子標的薬」という特定のお薬が劇的に効く可能性が高いからです。

【私たちが導き出した治療プラン】

  • がん治療:やみくもな抗がん剤は使わず、遺伝子変異にマッチした分子標的薬だけをピンポイントで使用し、副作用を回避する。
  • 食事管理:「ゆっくり進行する腎臓病」よりも、「明日起きるかもしれない激痛(膵炎)」を防ぐことを最優先し、あえて低脂肪食を選択する。
  • 腎臓ケア:食事でケアできない分、週に一度の点滴で水分補給を行い、腎臓の流れを優しくサポートする。

治療のゴールを「幸せな時間」に設定する

この戦略的な選択の結果、Aちゃんは脾臓摘出から1年半以上経った今も、お家で穏やかに過ごしています。
内臓への転移がある状態でこれほど長く良い状態を維持できているのは、統計的なデータを良い意味で裏切る「ボーナスタイム」と言えます。

高齢期の治療における「正解」は、病気をゼロにすることではありません。
詳細な検査によって病気の正体を暴き、「愛猫にとって一番苦痛なこと(激痛や吐き気)」を先回りして取り除いてあげること

完治はしなくても、痛みなく、大好きな飼い主様の隣で眠れるなら、それは十分に「成功した治療」と言えるのではないでしょうか。

「全てを治療する」のではなく、「その子の生活を守るために、何を選び、何をしないか」
その戦略的な判断こそが、シニア期の動物たちへの最大のプレゼントになると、私は考えています。